ロゴ

gokuyo gokuyo

御詠歌とは仏教の教えを五・七・五・七・七の和歌と成し、曲に乗せて唱えるものであります。
隨泉寺の佐伯光俊名誉住職は金剛流御詠歌を広める活動を行っており、隨泉寺でも御詠歌教室を開催しております。

 昭和55年春、先代住職遷化を受けて高野山大学卒業とともに隨泉寺住職に就任。住職に専念し、受ける仕事をありがたくお受けし仏のご加護を受けてその任を全とう。就任後すぐには護摩壇を設え、三日に一度不動胡麻をだくことにして一年を過ごす。  一方で金剛流御詠歌を研鑽し、本山布教師として精励する。就任から四十年、2020年に現住職に代を譲り、名誉住職に就任した。

隨泉寺名誉住職 佐伯光俊

金剛流とは

金剛流御詠歌
 御詠歌の起源は、平安時代の帝花山天皇がいち早く出家し、花山法皇として仏門に帰依し、法皇の西国巡礼にさかのぼると言われています。当時は勿論のこと、詩にはよく読まれたものの今のように節をつけて唱えられることはなく、後世になって西国三十三カ所毎に詠まれたものに節がついていったものと思われます。  高野山では大正14年、時の管長泉智等猊下、四国巡錫のみぎりご当地にあって盛んに唱えられていた御詠歌に迎えられ、これは大衆教化に大いに寄与するものであると確信され、時の久保観雅大使協会本部長にその意を伝えられ、高野山においても大師信仰の拡大を見据えて、金剛流の御詠歌が取り入れられるようになりました。

聴いてみる

高野山金剛峯寺公式YouTubeより